【すべてがFになる】第5、6話『すべてがFになる』【90分ぐらいでわかる】

『すべてがFになる』第5、6話。
小説は『S&Mシリーズ』と呼ばれているところを、あえてドラマシリーズのタイトルにしてしまうくらいだから、力を入れていることだろうと、期待と不安が入り交じる状態でこの回を迎えた。
以下ネタバレ。

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【SPEC】現実と虚構の境界線設定【公安零課】

テレビドラマ研究家の古崎康成さんがツイッターで「現実と虚構の境界線設定」なる理論を展開しているので、まとめてみた
ここであげられているドラマについて、情けないことに見たことがないので、自分なりに「現実と虚構の境界線設定」を解釈してみる。
テレビドラマは、映画や演劇と違って、「テレビを見る」という行為が非常に現実に密着しており、時として人はテレビの中で起こっている出来事を現実に起こっている出来事だと誤認してしまう危険性がある(ここでH.G.ウェルズの『宇宙戦争』に触れようとしたのだが恥ずかしさで顔から火が出そうになるくらい壮大な勘違い)。
あるいは、現実社会と密着しているため、現実と違う設定が出て来たときに、それを視聴者の中で整合性を取らせる、補助線のようなものが必要になってくるのだろう。これが自分なりの「現実と虚構の境界線設定」の解釈である。
さて、『SPEC』である。『SPEC』のなかで最大の「虚構」は、「SPECの存在」であることは言うまでもない。
それは、『ケイゾク』の続編として『SPEC』を見て来た自分も、最初から疑問に思っていた部分だった。
そして、そういう意味での「現実と虚構の境界線設定」は実は、「公安零課の存在」だったと言えよう。
公安零課がSPEC HOLDERの存在を闇から闇へ葬り去って来ていたことにより、「その世界に存在するにも関わらず」一般人が誰も信じていない「SPEC」を取り扱うドラマが生まれたと言える。また、SPEC HOLDERの存在を公然のものとしてしまったら、丙の回で馬場管理官が取り乱してしまったように、法秩序が乱れた世界となってしまうであろう。
『SPEC〜天〜』が「転」であるのは、植田プロデューサーが『漸ノ篇』のインタビューで言っているように、公安零課のトップである、津田助広が死んだこと、つまり、公安零課が壊滅したことが大きい。「現実と虚構の境界線」が取り払われることで、『SPEC〜結〜』は一気に虚構の世界へ飛び立ったわけである。
『ケイゾク/映画』では、赤い煙が出てくることで半ば強引に現実から虚構に飛んだのだが(そこが自分は気に入っているのだが)、『SPEC』はある意味、一段ステップを設けていて、作劇的にはこちらのほうが巧妙なのだろう。

【すべてがFになる】封印再度【Who Inside?】

ドラマ『すべてがFになる』第3、4話は『封印再度』である。
原作のサブタイトルには「封印再度」と“Who Inside?”と二重にストーリーの内容が含まれていたわけだが、それを無視してしまったわけだが、どうなってしまっただろう。

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【SPEC】SPECを見た人にお勧めの作品

『SPEC』を見た人にお勧めの作品と言うことで、私が見たり読んだりしたものから、誰でも思いつく作品以外の作品をあげてみたい。
『サイコメトラーEIJI』(第1シーズン)
1997年、同名の漫画原作の連続ドラマ。第1シーズンと第2シーズンがあり、キャスト、スタッフともに異なるが、今回お勧めしたい第1シーズンは堤幸彦監督が演出を担当し、蒔田光治氏がプロデューサーに名を連ねており、堤監督のいわゆる「土9」の集大成といった感じである。『ハルモニア~この愛の涯て~』もあるのだが、見たことがないものはお勧めできない。
『サイコメトラー』の名のとおり、サイコメトリング能力、つまり志村美鈴のSPECを持つ主人公である。ちょっととぼけた女刑事とか、シリアルキラーも登場し、『ケイゾク』『SPEC』の原点といった感じである。
…とは言うものの、パッケージはVHSしか発売されていないので、お勧めするのも心苦しい。
『ラブコンプレックス』
2000年に放送された、『踊る大捜査線』のチームが製作した問題作。様々なパロディーや、実験的要素が強い作品だった。SPECの「裏番組ネタ」の比ではないほどのパロディーに次ぐパロディーが展開されるので、そういうのが好きな人にはたまらない。逆に、元ネタが分からないと面白みが減退してしまうかも。『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』なんて今さら感があるしね…
『家族八景』
筒井康隆氏の小説、または、それを基にしたドラマ『家族八景 Nanase,Telepathy Girl’s Ballad』。『家族八景』の映像化は、1979年と1986年にも行われており、3度目の映像化である。チーフ演出は堤幸彦監督。主人公の火田七瀬は人の心を読むことの出来る家政婦であり、「さとりの化け物」という『SPEC』を見た方には聞き覚えのある言葉で形容される場面がある。
『MY HOUSE』
『SPEC』のような作品、というより、『SPEC』と正反対の作風、ということで紹介してみた。本当は、私が見た最初の堤幸彦監督作品である『homeless』(主演はオノ・ヨーコさん)を紹介したいところだが、見ることはほぼ不可能に近いので、同じホームレスを、『SPEC〜天〜』と同じ時期に取り扱ったこの作品とした。
『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』
言わずと知れた、『ケイゾク/映画 Beautiful Dreamer』のタイトルの元ネタ。私も10年以上前に見たっきりなのだが、世界の歴史が、巻き戻されている物語だ。
『七瀬ふたたび』
これはもしかしたら、最初に書いた「誰でも思いつく」作品かもしれない。上記、『家族八景』の続編。ドラマ・映画で何度も映画化されているのは、家族の問題を描いた『家族八景』と比較して、サスペンスの要素が映像に映える(馬から落馬みたいな表現だが)のだろう。超能力者とその存在を抹殺しようとしている組織の戦い…えっ?
恥ずかしながら、実は、この記事を書くために『エディプスの恋人』とともに読んだのだが、作品に引き込まれて一気に読んでしまった。
できれば映像化作品も見てみたい。
『エディプスの恋人』
一応、『七瀬ふたたび』の続編。一度も映像化されていない。1977年の作家の「想像力」は2014年の映像作家の「創造力」の遥か上を行っているということだ。何しろ森羅万象を司る、a godではないthe Godの存在の恐ろしさが描写されているのだ。
『黒い仏』
殊能将之氏の『名探偵・石動シリーズ』の2作目。ちなみに1作目は『美濃牛』。以降、『鏡の中は日曜日』『キマイラの新しい城』と続く。
ネタバレになるので内容については書けないが、騙されたと思って読んでみてほしい。最後の一文に、のけぞるだろう。
『花と火の帝』
『影武者徳川家康』や、コミカライズで有名になった『一夢庵風流記』などで知られる隆慶一郎氏の未完の遺作の一つ。タイトルから、天皇を主人公にした雅な作品なのかと思われるかもしれないが、朝廷と幕府の代理戦争として、超能力を持った八瀬童子と呪術師が戦ったり仲間になったりする物語である。と書くと、SPECを見た人になぜお勧めなのか、分かるだろう。

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【SPEC】あの場所はどこに?

今日は、『SPEC〜結〜漸ノ篇』が公開されてから、1年である。
そんなこととは全く関係なく、いまさらながら、SPECでよく出てくる「あの場所」は、どこに所在しているのかという話である。
例えば、「中部日本餃子のCBC」
「警察病院」
「当麻の家」
CBCは武蔵新田にあるし、警察病院は藤沢。当麻の家は中野だ。あくまでもロケ地としては
しかし、実際にドラマの設定上は、違った場所が設定されているわけで、それが推測できるかをやってみたい。

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