【すべてがFになる】第5、6話『すべてがFになる』【90分ぐらいでわかる】

『すべてがFになる』第5、6話。
小説は『S&Mシリーズ』と呼ばれているところを、あえてドラマシリーズのタイトルにしてしまうくらいだから、力を入れていることだろうと、期待と不安が入り交じる状態でこの回を迎えた。
以下ネタバレ。


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
不安だったのは、
・早見あかりが、一番神に近い存在とされる、真賀田四季、そして真賀田未来、ミチル(仮)の一人三役を演じることの不安。
・「すべてがFになる」の解説を、視聴者に分かりやすく、しかもドラマの尺に収まるように説明できるかの不安。
・携帯電話や、ネット環境が執筆当初と全く違うことをどう処理するのかという不安。
・その他、膨大な原作を、2話90分に収めきるのか不安。
であった。
で、その不安が、実際のところどうだったのかというと、
1番目の点であるが、真賀田四季(のふりをした真賀田四季)はほとんど出て来なかったし、四季の娘ミチル(仮)は、事実上死体姿しか登場しなかったので何とも言えない。原作通り、第1話(原作では『すべてがFになる』の冒頭)に登場した真賀田四季が、四季の書いたセリフを読んでいる娘だった、という設定だとしたら、早見あかりの「セリフを読んでいる感」は、上手いなぁ、という印象を覚えたのだが、結局その辺の説明がなかったから、真賀田四季とミチル(仮)の演じ分けがあったのかどうかは、定かではなかった。原作通りであるとすれば、最終エピソード『有限と微小のパン』で、真賀田四季の天才ぶりと、それを際立たせるある女性が登場するはずなので、期待したい。
2番目については、えらく簡単にまとめたなあ、という感じである。しかし、ミステリーものでトリックのキモの部分を探偵役(犀川)が解説せずに、エピローグでワトソン(萌絵)が解説してしまうのもどうかと思う。
3番目の点であるが、下手に携帯電話を使える設定にせずに、携帯電話が圏外という設定にしたのはまあ良かったと思う。そうじゃないと話が成立しなくなるのではあるが。しかし、ネットが使えなくなるという設定、いくら隔離された研究室とはいえ、現代の研究所ではやはり無理があるのではないかという気もする。
4番目の点であるが、本当に「あらすじ」レベルの、「90分ぐらいでわかる『すべてがFになる』」という内容であったと思う。極端な事を言えば、『すべてがFになる』を5話使って、『有限と微小のパン』を5話使って、全10話でじっくり見せるという方法もあったかと思うのだが、2話完結でも視聴率的にはかなり厳しいものであるからして、贅沢な望みでしかないのだろう。
そんな贅沢はともかくとして、国枝桃子の容貌をわざわざああいう格好にしたのは、今回使わなければ無意味で、単に浜中に蹴りを入れる暴力教官になってしまった感じがあるし、「雑誌記者」も原作では重要な登場人物だったのだが、そこまで入りきらなかった感じがある。
さて、ドラマはもうあとたったの2エピソードになってしまったわけだが、『数奇にして模型』と『有限と微小のパン』という原作の中でももっとも過激なエピソードを持って来たわけだ。不安と期待のまま、視聴を続ける事になる。

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