【ケイゾク】『ケイゾク』再放送:第11話『死の味のキス』(ネタバレ)

もはや何回考察したか分からないが、『ケイゾク』再放送が始まったことでもあり、再度考察をまとめてみる。
今回は第11話、最終話についてである。


前回、「ミステリーとしてみると、完全に約束破りである」と書いたけれども、今回、柴田の推理が、論理としては無理があるが、一応推理モノのフォーマットにのっとって展開されたところは、やはり『ケイゾク』はミステリーだった、と再確認できるところだった。
朝倉の正体について、私は「悪意の象徴」と書いたが、堤監督によると「集合理念」。であれば、単純に真山を殺すことや、顔を変えるなどという面倒なことをしなくても、早乙女になりすますことはできたはずだ。
それを、次々と人を操って、真山に不利な状況を作り、警察組織に抹殺されるように仕向けたり、わざわざ顔を変えて、早乙女として警視庁に入ってみるという回りくどい方法は、朝倉のいう「エキサイティングなゲーム」なのだろう。
さて、柴田であるが、「今はじめて分かりました。人を殺す人の気持ちが」というセリフは、柴田の刑事としての大きな成長である。
これまで、柴田は事件を推理小説のように謎解きだけをしていた。第3話で犯人を逮捕することの痛みを感じるようになったり、第7話、第8話では目の前で容疑者が自殺すると言うショッキングな現場に立ち会ったが、真山という大切な人間を殺された(と思った)ことによって、それを命じた早乙女に殺意を抱いたうえで、「今はじめて分かりました。人を殺す人の気持ちが」なのである。
そして、ラストシーン。柴田の生死問題は、当時ネット上で物議を醸した。『ケイゾク/雑誌』のライター討論会では、「柴田も真山も死んじゃってる」という説まで出てきた程だ。
そして、野々村係長の「また指紋が変わってる?」という(確か、放送当時は提供コールにかぶっていた)セリフは、結末の感慨にふけっていたところに、突き飛ばされるような衝撃を受けたものだ。
いったい変わったと言う指紋はなんなのか。特別篇や映画では、警視庁の指紋のデータが書き換えられていたという裏設定を、植田プロデューサーが語っていたが、そんなところだろう。
唯一の非公式ケイゾク研究本、『ケイゾク/攻略読本』(三一書房)にはこのことについて、こう記載されている。
「本編終了後、クレジットロールの後に、遺体となった早乙女の指紋が再び変わって朝倉の生存が示唆されるが、そうなれば当然、朝倉を地獄に引きずり落とすために、柴田は再び生き返ってくるだろう。」
同じことは、『SPEC』『SICK’S』でも言えるのではなかろうか。
死んだと思われた柴田と真山は、朝倉を倒すために、再度戻ってくるのではないだろうか。
そう期待したい。

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