ヴィレッジブックスという出版社から、木俣冬さんの書籍『ケイゾク、SPEC、カイドク』が7月30日に発売された。
『SPEC』『ケイゾク』の全エピソードの解説のみならず、植田博樹プロデューサーのロングインタビュー、中塚翠涛さん(書道指導、ボディダブル)のインタビュー、ミステリー評論家、香山二三郎さんの『ケイゾク』分析、鶴巻和哉監督のインタビューなどがある。そして、ほとんど「××た」の堤監督への質問、といった内容、さらには『SPEC』と『外事警察』の関連にふれたコラムがある。
各話のレビューは非常に読み応えがある。過去作初めとする関連作との比較・紹介をしているところが素晴らしい。しかも、映像の工夫を検証し(私はへたっぴアマチュアカメラマンなのでうまく説明できない)、映像情報の検証をしたりもしている。
それでも、このレビューでも、浮き出すことができるのは『ケイゾク」の「断片」であるということが『ケイゾク』の『ケイゾク』たる所以であろう。別の著者の手による『ケイゾク』のレビューを見ればまた違う側面が浮き上がってくる(絶版ではあるが、非公式解説本『ケイゾク/攻略読本』は是非読んでもらいたい)
植田プロデューサーのインタビューは読み応えがある。『SPEC』のみならず、『安堂ロイド』そして何より『QUIZ』にかなりのページが費やされている。
この本を読むと、このブログはなぜクズなのかよく分かる。それは、「映像に表現されることのみを解釈の対象とし、他の情報はそれを補う物としてしか使わないし、それを作っている「人間」の「意図」にあえて目をつぶる、という姿勢が受け入れられていないからである。
ところで、この本に何ヶ所か突っ込みを入れたくなってしまったので無意味ではあるが記載しておく。
P017…「委員会を立ち聞きしていた津田の要請なのだろう」→真相は第8話と『零』に記載されているところ。
P060…「野々村が発した名台詞」→柴田純と、その父、柴田純一郎の名台詞であってほしいところだが、『SPEC』的にはそうなのだろう。
P068…雑踏のシーンは、植田PがSPECのテーマとして掲げた「今は戦争前夜」ということを直接的に描いているもの。
P096…お台場の撮影の苦労→私の探し方が悪いのか、『SPEC全記録集』の対談からは見つけることができなかった。『堤っ』で見た記憶がある。
P097…『家族八景』第1話に触れているが、裸の人間の局部に花などの小道具を置く手法は、昔のポルノ映画の手法である。『ケイゾク/映画』でも雅の顔が花などの小道具で隠されている。
P097…❹家族八景のあらすじだが、小説版のあらすじを記載している。ドラマ版はラストが異なる。
P104…「映画化とか絶対しねえから」→ビートルズのアルバムのオマージュ
P132…柴田が公安部長だったのかどうかは大いなる謎。
P143…『天』では2020年ではなく2014年11月3日だった。
P158…「青い柿ピー」はケイゾク/特別篇の忘れられない思い出だ。私にとっては。
P174…参事官は管理官より偉い。
P175…同じ構図が『SPEC』にあるが、病人を死なせてしまう真山、犯人を逃がしてしまう瀬文。
P177…「仕事だと『お疲れさまです』などと言いがちなのに、彼女はそういう言葉を使わない」→特別篇で使っている。もっとも、特別篇の柴田は本来の柴田ではない。
P179…三上博史→『ケイゾク』「真山徹」「三上博史」と言えば!
P185…15.7%→『ケイゾク』の視聴率は、裏番組に大きく左右されているように思われる。
P194…「お台場球体展望室でのロケが敢行」→敢行はされたが映像化はされなかったはず。
P201…「ハンドルネームで女性だと思っていた人」→第3話・第7話演出の金子文紀監督。
P232…冒頭→TV放送版ではノーマルな演出になっている。
P232…「東八王子署」→「八王子西署」
P237…「NG紹介のコーナーのように、リプレーするのだ」→TV放送版にはない。
P238…実際の映画は、ここで解説されているよりももう少し幾つかのシーンがはさまれている。
P240…雅のアップが登場するのはラストではなくて、野々村が公園で雅と別れる前のシーン(野々村が「雅」と言うのが聞こえる)に挿入されている。
P271…「銀残し」についての植田プロデューサーの説明が、違っている。植田Pも私もそういうことをするプロではないので、詳しい解説はしないが、「通常は完全に洗い落としてしまう銀を、一部フィルムに残す」ということのようである。