【あまちゃん】宮藤官九郎のアイドル論

今日の『あまちゃん』第112回の天野春子のセリフ。
あんなの、いっときのもんだよ。
若気の至りだよ。
毎年さ、かわいい子30人か40人か集めて
才能ないのに舞台にあげてさ
その中から10年後何人残ってると思う?
せいぜい1人か2人だよ。
だったら最初から1人でやった方がいいじゃないのよ。
アキが抜けたGMT5を評してのセリフなのだが、どう聞いてもGMT5を評したセリフとは思えない。現実の某グループや某グループを評しているように思える。
春子は、1人でやってうまくいかず、アキはGMTという「ともに戦う仲間を見つけた」という話でないと、GMT篇をやった意味がない。
GMTは当初の構想では47人集めるというものだったかもしれないが、地元ではアイドルの女の子を集めてくるわけだし、厳しい(かどうかは知らないが)レッスンを繰り返すわけだし、そのなかで切磋琢磨される中で原石が磨かれるわけだ。最初から1人でやっていいというものではない。
これは、天野春子を通して、宮藤官九郎が語っているのだろう。「アイドル論」を。
第103回の春子のセリフが、宮藤官九郎のアイドル論の代表だ。
この子すごいんですよ。少なくとも私とは全然違う。
御免なさいね、親バカで。
本人目の前にして言うのもあれだけど、この子すごいんです。
鈴鹿:どんなふうに、すごいの?
アイドルだったんですよ。
鈴鹿さんの前で言うのも変なんだけど、どんなに歌がうまくても、
お芝居が上手でも、それだけじゃアイドルになれないでしょ?
う〜ん何かこう…私には分かんないんだけど、
なんかがあるわけでしょ。ねえ大将。
(寿司ネタを飛ばす大将)
そのね、なんかが、何なのか私自身が知りたいんです。
アイドルって「偶像」だっけ?シンボルとかね。
アキはアイドルだったの。
小さい田舎のしょうもない町だけど、
そこでは間違いなくアイドルだったんですよ、ねえ種市君!
種市:ハイ!
みんなの期待を一身に背負って出てきたの。
だからみんな私に声かけるの、今でも。
「アキちゃん元気?どうしてる?」
もうとっくにいないのによ。
それってアイドルでしょ?
そこにいないのにみんなの心にアキがいるってことでしょ?
このテーゼに対して、鈴鹿ひろ美がアンチテーゼを提示する。
確かにあなたの娘さんは一緒にいて楽しいし、度胸もあるし、
ま、お顔だってかわいいし…。
こんな感じだけど、アイドルの資質、あるかもしれません。
でもねお母さん、そんな子はごまんといるんです。
原石なんかゴロゴロ転がってるの。
そんな中で磨いて光るのは(ポン、と机を叩く)
たった一個なんです。
この二つを止揚させたところに、本当の宮藤官九郎のアイドル論が出てくるのだろう。
しかし、現実のアイドルの世界は、全く違うアイドル論で成り立っている。
私が象徴的に感じたのは、映画『モテキ』で真木よう子演じる唐木素子のセリフ。
「お前アイドルソング聴いてなにリアルでも気が大きくなってんだバカ!ももクロもAKBもスマイレージも全部構造は同じだ!【好き】って気持ちを伝えること至上主義の歌詞に洗脳されて告白したって現実じゃドン引きされるだけなんだよっ!」
アイドルの世界観はアイドルソングの歌詞にあるのである。前に書いたモテキのセリフからして『暦の上ではディセンバー』も『潮騒のメモリー』も『地元に帰ろう』も、アイドルソングではない。
生々しい言葉で書いてしまってもいいのだが、ユイちゃんの「オタク相手に生足出して媚び売って真ん中に立って、それが何なの?」という話だ。

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