いつからかは分からないが、『SICK’S 厩乃抄』がAmazonプライムビデオで配信開始され、『恕乃抄』『覇乃抄』『厩乃抄』と揃って見ることができるようになった。
私がこのシリーズについて何を書いても、客観性も説得力もないかもしれないのだが、ここについているレビューを見ても、辛辣なものばかりが目立つ。
製作者がそういう反応が出るとわかって、わざとそういう展開にしてるんじゃないかと思うぐらいだ。
【SPEC】劇場版SPEC、Netflixで配信開始!
Netflixで、劇場版SPECが配信スタートした。
『劇場版SPEC〜天〜』、『劇場版SPEC〜結〜漸ノ篇』、『劇場版SPEC〜結〜爻ノ篇〜』と配信されている。
SPECを見る手段が増えたことは嬉しいニュースだが、連続ドラマ、スペシャルドラマ『SPEC〜翔〜』が見られないのは、画竜点睛を欠く、である。
それらの配信、さらに、『ケイゾク』の配信が始まれば、なお嬉しいところであるのだが。
【SPEC】SPECを見た人は騙されたと思って読んでほしい【SICK’S】
この小説について書くのは三度目だが、お付き合い願いたい。
『SPEC』を見始めたころから、殊能将之氏の『黒い仏』だなぁ、と思っていた。SPEC 第4話【丁の回】 First Impressionでも書いている。
もう昔の作品なので、ちょっと踏み込んで紹介する。
まず、「星慧」という登場人物が登場する。テレパスの女性ではない。
主人公の名探偵石動戯作のパートナー、中国人のアントニオは、超能力者である。
さらに、ニノマエの登場シーンを思わせるあるシーンがある。
そして、私がのけぞった最後の一行は、…流石にこれはやめておく。騙されたと思って読んでほしい。
ちなみに、殊能将之氏のデビュー作『ハサミ男』であるが、この小説に登場する「ハサミ男」という登場人物が、ケイゾクの朝倉に似ている、という指摘もされていたようだ。
そんなこともあって、植田Pは殊能氏の作品に影響を受けたのか、と思ったら、「その存在も知りません」ということだったのは意外だった。
ブログ開設から10年
本日、2020年10月7日、このブログを開設してから10年になる。
開設は、ドラマ『SPEC』が始まる1日前だった。
「SPECが、ケイゾクの積み残したテーマを消化して、ケイゾクを終わらせられるのか、見守りたい」と10年前、書いたのだが、それが実現したのか、今となってもよく分からない。
ただ、『SPEC』が『ケイゾク』の世界観を広げて、ファン層も広げたことは、成功だったと言えるだろう。
一方で、個人的見解だが、『SICK’S』が『ケイゾク』の続編の続編であるとすると、『ケイゾク』ファンとして、不幸なことであった。
10年前、「『ケイゾク』とも『SPEC』とも関係ないネタも書いていきます」と書いたところだが、今のスタンスとしては、そういったネタを書くのは控えようと思っているし、過去に書いた記事も多くを削除した。
今後は、『ケイゾク』『SPEC』を中心に、細々と続けていきたい。
【ケイゾク】柴田純とボーヴォワールと中谷美紀
ケイゾク8話で、次のようなセリフがある。
「ボーヴォワールとボードレールの違いはなんだか知ってますか?」
シャルル・ボードレールは、フランスの詩人。シモーヌ・ド・ボーヴォワールは、フランスの女性哲学者。
柴田純という人物は、第1話のスタンダールもそうだが、フランスに縁が深いが、ここでは柴田がボーヴォワールに言及したことについて考察したい。
ボーヴォワールの代表著作、『第二の性』は、「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」という冒頭の文で有名だが、「女性」という性が、男性社会によって作られたもので、少女から大人になり、妻になり、母となるという女性の生き方も、男性によって定義されたものだということをのべている。
1949年の著作であり、女性の社会進出は進んだかのように思われるが、いまだに職業社会は男性社会であり、労働力としての女性は従属的なものが多くを占め、男性並みの社会的地位を得るために、「女性」としての生き方を捨て、カッコ書きの「男性」として男性社会に参加する女性が多いように感じる。
さて、柴田純である。
ドラマのなかで、何度となく、エリート警察官として、出世の道を歩んでいくことが示唆されている。
それは、柴田純自身が、国家公務員試験を受けて、警察庁に採用されるという道を選んだからにほかならない。
しかし、ドラマのなかの柴田は決して「男性」ではなく、純愛を信じ、ダンナ様が現れるのを待ち望む女性だった。
そういうふうに考えていくと、柴田が「女性」として「エリート警察官」の道を選んだことの背景の一つに、ボーヴォワールの思想があったのか、と解することもできるのではないだろうか。
しかしながら、台本にはこのセリフは全くない。
一体誰が考えたのだろうと思っていたが、植田Pによると、中谷美紀さんのアドリブ、とのこと。
私が書いたようなことを、中谷美紀さんが意識していたかはわからないが、柴田純が、このセリフを中谷さんに言わせたように思う。