【SNS】SNSへの感想、結末予想は、ドラマ製作に悪影響を与える?

ここでいう「SNS」は、ツイッターやFacebook、mixiといった一般的に「SNS」と呼ばれるものだけでなく、ブログ・ホームページや2chなどの掲示板、Yahoo!知恵袋など、一般に視聴者が感想を述べることができ、なおかつドラマ製作者が見ることのできるWeb上のスペースを対象に記載する。
さて、マイナビニュースに「『相棒』『○○妻』『ウロボロス』がまさかの結末に……バッドエンド連発とバッシングの背景とは?」という記事が記載された。
私はこれらのドラマを見ていないので(『相棒』は最終回を含む3回ほど見たが)間違った解釈をしてしまうかもしれないが、これらのドラマの唐突なバッドエンドぶりに、視聴者が当惑しているということなのだろうか。
そして、この記事の筆者は、最近の視聴者に、『半沢直樹』に代表されるようにドラマに予定調和を求める一方で、ドラマにオリジナリティを求める脚本家は、「視聴者を裏切りたい」という心理がある、というのだ。
しかし、視聴者を裏切るとか、意外性のある脚本というのといっても、その意外性が視聴者に不快感を与えるものだとしたら、それは結果的に脚本家の独りよがりになってしまうのではないだろうか。『相棒』『○○妻』『ウロボロス』といった作品を初回から最終回まで欠かさず鑑賞した視聴者の方は、どう感じたのであろう。
そして、筆者は、SNSのドラマに与える影響について、こう書いている。

ツイッターやSNSなどがこれだけ発達し、コンプライアンスやクレーマー対策が必要な今、連ドラ制作は、かつてないほど困難なものになっている。一話ごとに「ああだこうだ」と多様な予想をされたり、「あのセリフはモラハラだ」と苦言を呈されたり、視聴率だけクローズアップされたり、制作サイドへの逆風は強い。

私もこうやってブログを書いている一員であり、一話ごとに先の展開の予想をしたり、完結後に「あれはどうだった」などと深読みをしたりしている。
私のブログはそんなにドラマ製作者に影響を与えるようなものではないので置いておいて、SNSでの情報発信の絶対的な量は過去と比較して大幅に増えており、検索エンジンの高性能化も相まって、SNSでのドラマに関する感想や予想を製作者が見ることは、好評も悪評も含めていわゆる「ビックデーター分析」として行うことができる。
確かに、面白いドラマに触れたら、そのドラマの感想や結末予想、ツッコミなどをしたくなるのが心情である。しかし、そういったことが、ドラマ製作に悪影響を与えており、よりドラマを楽しみたいのだとしたら、そういったSNSへの投稿は控えたほうがいいというのが現実なのだろうか
私も、考え直したほうがいいのかもしれない。
そのほかにも、原作もののドラマは、作りにくくなっているのではないだろうか。検索エンジンでタイトルを検索したとき、サジェスト機能で「(ドラマの名前) ネタバレ」といった候補が出てくることが多々あるものである。

【SPEC】ケイゾクを見ていない人のために パート6【ケイゾク】

前回パート5の続きである。
繰り返しになるが、以前、「ケイゾクを見ていない人のために」という記事を書いた。
『ケイゾク』を見ていない人に、『ケイゾク』の魅力を伝えるというのは、このブログの究極の目的であるが、その目的は全く果たせていない。
今回は、パート2でも少し述べたが、『キャラクター造形の魅力』についてである。
あるがしかし、今回はそれが今となっては『ケイゾク』の魅力としてあまり打ち出せないことを述べる。

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【SPEC】ケイゾクを見ていない人のために パート5【ケイゾク】

前回パート4の続きである。
繰り返しになるが、以前、「ケイゾクを見ていない人のために」という記事を書いた。
『ケイゾク』を見ていない人に、『ケイゾク』の魅力を伝えるというのは、このブログの究極の目的であるが、その目的は全く果たせていない。
『ケイゾク』を、『SPEC』を見た観点から批評したものとして最も優れていると思われるのが、このブログの記事「『SPEC』は『ケイゾク2』か?」だと思う。
その論理構成には、一つの回答として、納得させられるが、論理自体には、異論がある。
具体的には、「こうした連続ドラマとしてストーリーとしての強度よりも、その合間の小ネタや小芝居といった『ケイゾクの文脈(コンテキスト)』を積み重ねることを優先するという方法」という部分である。
これに異論を唱える形で、私の論調を、甚だ拙いものであるが、展開させてみる。

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【SPEC】ケイゾクを見ていない人のために パート3【ケイゾク】

前回パート2の続きである。
以前、「ケイゾクを見ていない人のために」という記事を書いた。
『ケイゾク』を見ていない人に、『ケイゾク』の魅力を伝えるというのは、このブログの究極の目的であるが、その目的は全く果たせていない。
『ケイゾク』を、『SPEC』を見た観点から批評したものとして最も優れていると思われるのが、このブログの記事「『SPEC』は『ケイゾク2』か?」だと思う。
その論理構成には、一つの回答として、納得させられるが、論理自体には、異論がある。
具体的にいうと、『ケイゾク』は物語として破綻しているが、そうした破綻ぶりが物語の魅力である、という部分である。
これに異論を唱える形で、私の論調を、甚だ拙いものであるが、展開させてみる。なお、ネタバレは極力避ける
今回は、『ケイゾク』の魅力の一つ。ミステリとしての魅力である。

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【ヤメゴク】続・ゼロポジってなに?(その16)

よくわからないが、CS放送の『SKE48 ZERO POSITION』という番組と『ヤメゴク』のタイアップがあるらしい。

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