ケイゾクの柴田純の経歴は、知っている人は知っていると思うが、「空白の一年」というのがある。これについて検証する。
まず、「空白の一年」とは何なのかである。
柴田純は、1975年1月12日生まれ(中谷美紀より1歳年上に設定されている)。したがって、ストレートに行ったとすれば、東京大学を卒業するのが1997年3月、警察庁に採用となるのが1997年4月となるはずである。
しかしながら、ケイゾク1話で、野々村係長は、柴田を「この春東京大学を卒業して、警視庁に入ったエリート中のエリートだ」と説明している。この日は1999年1月8日(金)。ということは、「この春」というのは1998年の春、ということになる。
つまり、東京大学卒業前に、謎の1年があるのだ。これを、「空白の一年」、と仮に呼ぶ。
空白の一年については、ケイゾクファンによってさんざん指摘されてきていて、今さらな感じが漂っている気がするが、二つの仮説を立ててみる。
まず、想起してほしいのが、「心臓が息の根を止めるまで、真実を求めてひた走れ、それが刑事だ」というのが、柴田の父、柴田純一郎参事官が柴田に残した最後の言葉だったということだ。
その時、柴田は純一郎に、刑事を目指すことを告げたのだと思われる。
そこで一つの説。
逆に言うと、純一郎参事官が死ぬまで、柴田は刑事とは別の道を目指していたのではないのだろうか。
以前にも書いたとおり、旧司法試験制度では、大学三年次で司法試験に合格することが出来る。
柴田がそうだとして、法曹になるために東大を休学して司法修習生になったと考えたところに、純一郎参事官の死に直面して、柴田は刑事を目指し、東大に復学し、国家公務員Ⅰ種試験に合格した、というのはどうだろうか。
つまり、
1993年4月 柴田、東京大学入学
1995年 柴田、司法試験合格(大学3年生)
1996年4月 柴田、司法修習生
この間、柴田純一郎死去
1997年4月 柴田、東京大学復学(大学4年生)
1998年3月 柴田、東京大学卒業
1998年4月 柴田、警察庁採用
1999年1月 柴田、警視庁捜査一課弐係に配属
こんな流れが想定できる。
これだと1999年に柴田参事官が「伝説」となるには、早すぎるだろうか。
二つ目の説。
純一郎が死んだのが柴田が高校時代ぐらいのことで、柴田は例えばフランスに留学していた。ところが純一郎が死ぬことで柴田の進路が東京大学法学部、キャリア警察官に定まった。
留学していたので高校で1回だぶっている。フランス留学したので、柴田はフランス語を流暢に喋れる(ケイゾク/映画)と。
ただ、いくら警察官とは言え、娘を一人フランスなんぞに留学させられるだろうか?
そこからさらに想像を膨らませると、柴田純一郎が外務省に出向し、在フランス日本大使館(領事館)に勤務し、家族を伴ったということも考えられる。
いずれにせよ超学業優秀な柴田純を、高校時代なんかに海外留学なんてさせるか?という疑問は残ってしまう。