【ケイゾク】『SPEC〜結〜爻ノ篇』から『ケイゾク』を見つめ直す(その3)

以前書いた記事の続き。
お待たせの、『ケイゾク』の朝倉を、『SPEC〜結〜爻ノ篇』から見つめ直してみる。
今回は思いっきりネタバレという名の妄想である。
以前の記事を大幅に改稿しているが、改稿前の文書も残しておく。

まず、『ケイゾク』『SPEC』両シリーズのファンがずっと頭を悩ませ続けていたであろう、「朝倉は、SPEC HOLDERだったのか」という点について。
『爻ノ篇』のパンフレット、「Twitter Q&A」のなかで、植田Pは、「そこはご想像にお任せします」とし、ケイゾク/映画の黄泉の国について、それぞれの心象風景とし、「朝倉は狂気の人であり哲学者でもあります」と語っており、堤幸彦監督は、「階層的に、朝倉はセカイよりも上にいて、仏様みたいになってるわけだよね」と言っている。これらの発言を統合すると、朝倉は「SPECを持った神に近い存在」と言えるだろう。
ここで、『ケイゾク』時代の朝倉のサイドストーリーを辿ってみる。
ノベライズ『ケイゾク/小説 完全版』に掲載されているもので、公式のものではあるが、映像化されたものではない。念のため。
真山が弐係に配置になった頃、野々村は朝倉のことを調べたことがあるという。
朝倉は共働きの両親の元で育った一人っ子であり、明石市に祖母がいて数ヶ月に一度朝倉家を訪れていた。
祖母が訪れたときは、朝倉の保育所への送り迎えを行っていたのだが、朝倉が三歳だったある日、祖母は朝倉の目の前で亡くなり、周りの大人たちはその事実を朝倉から「封印」して来たという。
その後、十三歳の朝倉を調査していた野々村は朝倉が宗教関係の本を調べていることを知り、『輪廻転生』と書かれた書物以上その本を読む朝倉の笑顔に驚愕し、さらに、恐ろしい出来事に遭遇する。
ジム・モリソンの体験ではないが、人の死を目撃したことで、肉体としての朝倉に、魂としての、神に近い存在が入り込んだというふうに解釈したらいいのだろうか。
『結』で朝倉と会話していた女性は、ガイアであると結論づけたが、神々の会話だったと言うことになる。
ところで、ガイアは「ガイアの意思」を発動できるにも関わらず、朝倉は『SPEC』のストーリーに関与できないでいるのはなぜだろうか。
一言で言ってしまうと、「真山に倒されたから」である。
元来朝倉は、セカイやユダのように、様々なSPECを使いこなすことのできる存在であった。しかしながら、黄泉の国の入口があるという特殊な島である、厄神島で真山と戦って破れたことにより、この世界に対する影響力を失いガイアと対話できる神に近い存在になったと考える。
さらに想像をかき立てると、セカイや卑弥呼のセリフに朝倉に類似したものがあるのは、ガイアの意思をセカイたちに伝えていたのが朝倉だったからではないだろうか。
何れにしても疑問が残るのが、そういった神に近い存在である朝倉が、何故ただの人間である真山の妹をレイプしようと考えたのか、である。
以上である。
以下に旧稿を残しておく。

まず、『ケイゾク』『SPEC』両シリーズのファンがずっと頭を悩ませ続けていたであろう、「朝倉は、SPEC HOLDERだったのか」という点について。
『爻ノ篇』のパンフレット、「Twitter Q&A」のなかで、植田Pは、「そこはご想像にお任せします」とし、ケイゾク/映画の黄泉の国について、それぞれの心象風景とし、「朝倉は狂気の人であり哲学者でもあります」と語っている。
この件について、私の見解というか、妄想は、結論から書いてしまうと、朝倉の本体は、先人類の霊体であり、黄泉の国の入口があるという特殊な島である、厄神島で霊体ごと冥界に落とされた、というものである。
なぜこのような結論に至ったのかを導くために、先人類たちの言動から朝倉に近いものを書き記してみる(SPECのセリフはノベライズから書き写している)。
卑弥呼「他者が認じれば死者とて生命を持ち、他者が認ずることがなければ、生者とて、死者の如し」
→朝倉「ここにいる人たちは私の一部だ。誰かのなかに少しでも生き続けられれば、永遠に生き続けることができる」
ケイゾク/映画のノベライズでは、朝倉は卑弥呼とほとんど同じことを言っている。「現実というのは人が認識して初めて現実たりうる。人が認識していない事象など、現実でも何でもない」
セカイ「ガイアのウジ虫」「生ゴミ」
→朝倉「壊れた人形、腐っていく肉。ウジ虫、ウジ虫、ウジ虫…土に還れ、生ゴミ!」
青池潤 人差し指で青池里子の額を小突くと、里子が催眠術にかかる。
→朝倉 人差し指で大沢麻衣子の額を小突くと、麻衣子が催眠術にかかる。
ユダ「霊体である我々は物理的に滅せぬ」
→朝倉「俺にとって死は、無限だ」
それぞれのキャラクターが朝倉と同じようなことを言っている。つまり、朝倉がこのうちの誰かというわけではなく、ユダが言っていた、人類がすべての生物と魂を通わせて生きていたということの現れなのではないだろうか。
それで、先人類の霊体の朝倉(以後、アサクラと呼ぶ)は、朝倉や早乙女に乗り移ったり、利用したりしていたと考えられるし、中田の肉体を「有効利用」していた。そして、ケイゾク/映画で斑目の死体を操ったりした。
しかし、『SPEC』では全く姿を現さなかった。それはケイゾクファンとして、真山に倒されたからと考えたい。物理的に滅ぼせないアサクラの霊体を滅ぼすことができたのは、死者の世界の入口がある、厄神島という特殊な環境でだったからと考えるのは無理があるだろうか。
『爻ノ篇』のラストで、アサクラと話していた女が、「生物が持つ意識の数だけ世界はある。そしてある面積以上の重なりだけが認識され、時にそれが、この世界と呼ばれる」と言っているが、朝倉も、映画のノベライズで、「この世とは無数の人間の認識が作り上げた巨大な幻にしか過ぎない」と同じ意味のことを言っている。アサクラが冥界を漂う当麻を観察していたのは、アサクラ自身も冥界に漂っていたからではないだろうか。そして最後のセリフは、この世界から、別のパラレルワールドへの移行することを言っているのではないかと、解した。

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3件のコメント

  1. 朝倉裕人の正体についてはもうひとつある説があると自分は考えます。朝倉は悪意の塊が人の形を持って現れたものと考えています。SPEC結の最後の会話はアサクラ悪(男)とそれと対の存在のアサクラ善(女)の会話だと推測します。彼らの目的は人類の精神的成長(仮説)を促すことであえてケイゾクの世界で真山の妹を強姦し、事件を起こし、柴田にスペックホルダーの存在を知らせた上で未詳をつくらせ、当麻に世界をリセットさせ、人々が永遠に愛し合う世界を創ろうとしているのです。そしてSPEC結ラストシーンでアサクラ善が「行きましょう、朝倉」と言っていますがこれはSPEC結の瀬文が警察官達に殴られるシーンがありますがその時の警察官の服装が昭和後期の服装です。
    これは当麻が世界をソロモンの鍵を使ってリセットしたため時間が巻き戻された違う時間軸の世界になったためです。そしてあのアサクラ善のセリフにもあったように彼らはこれからケイゾクの世界に行こうとしているのです。
    つまりケイゾク→SPEC→ケイゾクと時間軸が流れているのです。

  2. ケイゾクシリーズたった今観おわりました
    自分はSPECシリーズから入ってそこからケイゾクを知ったのですがいろいろな考察をみてさらに面白くなりました
    こちらのブログをよく拝見させて頂いてました
    朝倉が解釈しやすくて助かりました
    SICK’Sはまだ序しか観てないので先がまだまだ楽しみです

  3. Wolverineさん

    拝読いただきありがとうございます。
    ようこそ、ケイゾクサーガ(SPECサーガ)の世界へ!

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