『SPEC 全記録集』で、警視庁公安零課と陸軍中野学校の関係について一つの解答が示されると思われる。
しかし、ここで、もう一つの「陸軍の後継者」を示したい。
陸軍省は、1872年に設立された。
第二次大戦後の1945年12月1日、陸軍省は第一復員省に改組(同日、海軍省が第二復員省に改組)。
1946年6月15日に第一復員省と第二復員省が統合され、復員庁を設置。旧陸軍関係の担当は第一復員局となる。
一方、海外に残っていた日本人の引揚事務を行うため、当初は厚生省社会局引揚援護課が、1946年3月13日に厚生省の外局として引揚援護院が設置。1948年5月31日、復員庁と引揚援護院が統合され、厚生省の外局として引揚援護庁が設置される。
引揚援護庁は、1954年3月27日をもって閉鎖され、厚生省の内局、引揚援護局となる。
その後紆余曲折を経て、現在、引揚援護局は厚生労働省社会・援護局となっている。そのため、厚生労働省の任務には、「引揚援護、戦傷病者、戦没者遺族、未帰還者留守家族等の援護及び旧陸海軍の残務の整理を行うこと」が掲げられている。
一方、陸上自衛隊は、1950年に創設された警察予備隊をベースに、1954年7月1日に陸上自衛隊に改組された。
警察予備隊創設に当たって、人事面でも、旧・内務省の内務官僚を中心に創設されたという。ところが、実戦兵器の配備に伴って1951年以降、徐々に旧軍人の入隊が増え、現在に至る。つまり、実質的には陸上自衛隊が後継組織と言えるが、形式的には陸軍の後継組織は厚生労働省ということになる。
ところで、厚生労働省社会・援護局の所管する博物館として、昭和館というのがある。
ごあんないによると、「主に戦没者遺族をはじめとする国民が経験した戦中・戦後(昭和10年頃から昭和30年頃までをいいます)の国民生活上の労苦についての歴史的資料・情報を収集、保存、展示し、後世代の人々にその労苦を知る機会を提供する施設」である。
北の丸公園や靖国神社の近くにある、窓のない建造物だ。
現在の館長は、厚生省事務次官、宮内庁長官を歴任、「天皇特例会見事件」で一躍有名になった、羽毛田信吾(京大法学部出身)が務めている。
ここまでは一応、事実に基づいた話。以下は妄想。
SPEC的な陰謀論によると、窓がないというのが秘密めいていてそそる。
昭和館の職員は裏で御前会議の事務的なことを行っていたりして。
地下に公安零課のもう一つの分室があったりして(街宣右翼とかいるあたりなので)
ただ、やはり国会議事堂に潜入するようなビジュアル的な衝撃はないね。ただの博物館だから。