堤幸彦監督の会社のYoutubeチャンネル、「クレッシェンドチャンネル」で、堤幸彦監督とTBSの植田博樹プロデューサーの対談の1本目が配信開始された。
なんと全4時間にも及ぶ対談で堤監督と植田プロデューサーの全26作品を語ったという。今回は植田プロデューサーがTBSに入社する際の京都大学でのエピソードから、ケイゾクの製作の第1話ぐらいまでの話である。
お話は、植田プロデューサーが京都大学からTBSに入るところから始まる。これは、『ケイゾク』で植田Pと堤監督がタッグを組むにいたる経緯につながっているからなのである。
そもそもは、植田Pがある人から「TBSで堤監督のような作品ができないか」と言われたことから始まる。というのも、植田Pが最初に手がけたドラマ『総理大臣誘拐される』で脚本を手掛けたのが、蒔田光治プロデューサーだったのだが、蒔田Pは堤監督と手を組んで『金田一少年の事件簿』などのヒット作を連発して、いわゆる「堤テイスト」の作品を連発していたのである。
植田Pは蒔田Pと話をし、蒔田Pが植田Pに堤監督を紹介し、一緒に仕事をすることになっていったわけである。
『ケイゾク』の予定していたキャストがクランクインの2週間ぐらい前にだめになってしまって、呆然として、二人で渋谷の焼肉店で語り合ったという話が出てきた。だめになったキャストについてはこの対談では伏せられていたが、当時は周知の事実だった。真山徹役は、三上博史さんということで、公表され、渡部篤郎さんに交代が伝えられた。
私としては、真山は渡部篤郎さん、柴田は中谷美紀さん以外考えられないし、この二人だからこそ『ケイゾク』を見始めたので、必然だったのだと思っている。
そして、番宣の時のエピソードから、植田Pがそこに込めようとした哲学があったことがわかる。
さらに、制作の現場で、堤監督がやろうとした新しいことについて、各方面から「牢名主のような人」から抵抗を受けたという。典型的なものとして、MAをそれまでテープ編集で行っていたのを、コンピュータを使った編集に変えて、今は亡き志田博英さんが機材をスタジオに持ち込んでやっていたという。これはある意味、いまでいうところのデジタルトランスフォーメーションではないだろうか。そして、今では堤監督がやったシステムで今のドラマの現場が動いているということから、まあ植田プロデューサーが抵抗を押し切って堤監督のシステムを動かした賜物だろう。
そして、堤監督の台本に込めた魂や、衣装合わせでの衣装や持ち物に堤監督が背景を込めたことも語られた。
堤幸彦65歳、次の配信は、「堤幸彦66歳」であろうか。