以前、「ケイゾクを見ていない人のために」という記事を書いた。
『ケイゾク』を見ていない人に、『ケイゾク』の魅力を伝えるというのは、このブログの究極の目的であるが、その目的は全く果たせていない。
以前の記事に書いたとおり、TBSの公式サイトは閉鎖されてしまい、この、ドラマアーカイブのあらすじ紹介のみが残っている。
このあらすじ、当時の公式ホームページに掲載されたものだが、ドラマの内容とかけ離れている。
それはそれで、なぜこのようなものが公式のあらすじになってしまったのかもふくめて、つっこみや研究の対象にできそうなところなのだが、それはおいておいて、この「あらすじ」というものが、ドラマ『ケイゾク』の魅力を100%伝えていないものであり、TBSに残された『ケイゾク』に関する唯一のコンテンツだというのが、残念なものである。
『ケイゾク』の魅力としてよく語られるのが、堤幸彦監督の映像の面白さであるが、『ケイゾク』の素となっているのは、西荻弓絵さんの脚本である。
私はプロのライターでも、アマチュアのライターでもないので、西荻脚本の魅力を伝えられるかは分からないが、しかもネタバレを避けてやるのは不可能に近いが、取りあえずやってみる。
西荻弓絵さんの代表作は、『ダブル・キッチン』シリーズなどのホームドラマ、能登の女の子がパティシエを目指す朝ドラ『まれ』和菓子職人を目指す女の子を描いた朝ドラ『ほんまもん』などがある。
こうした作品を私はほとんど見たことがないので、西荻脚本の魅力を語ることにさらに自信がなくなってしまう。
そこで、西荻弓絵さんや、西荻弓絵さんに近い人の語りから、探っていきたい。
いまはなき、ビクターブックスから発行されていたムック本「Zakki Vol.1」(2000年1月1日発行)は、『ケイゾク/特別篇』放送前に刊行され、「ケイゾク」特集を組んでいた。
その中で、西荻弓絵さんが、『ケイゾクの素』というタイトルで2ページのコラムを書いている。
そこでは自分が今まで書いてきたものと違う世界の作品であったことが、素直に書かれている。「踊る大捜査線が当たったから刑事物はどうか」という安直な(笑)契機からも、おちゃらけたものにしたくないと真摯に取材を進め、『被害者の痛み』というテーマを提示したという。そして、「いろいろなものが折り合いをつけずに暴走を始めて、『ケイゾク』という不可思議な世界が生まれてきてしまいました」という。
さらに驚くことに、「何が受けているのかよくわからない部分もあ」る、と言いつつ、「中谷さん、渡部さん始め出演者の皆さんのキャラクター造形や、細かい部分まで遊び心あふれる現場のスタッフの熱気に、私自身が『ケイゾク』という世界の魅力を教えられ、少しずつ理解して行ったのではないかという表現が一番正しいのではないでしょうか」と語る西荻さんである。
そこからは与えられたテーマに真摯に取り組み、さらに自らの脚本の中にとらわれることなく、キャスト、スタッフのイメージから脚本を膨らませていくという特性を持った脚本家というイメージが浮かぶ。
だから、『ケイゾク』の脚本は、いい意味でかっちり定まったものでなく、現場とのキャッチボールで変わっていくから、ホームページに載るあらすじは実際のドラマとかけ離れていくし、あらすじを読んでも魅力が伝わらないのではないだろうか。
また、『シナリオ 劇場版SPEC〜結〜』のあとがきに植田博樹プロデューサーが寄せた「西荻弓絵さんについて」という文書も、西荻弓絵さんの脚本の魅力を知るのに大いに参考になる。
これによると、『ケイゾク』においては、(東宝の)蒔田光治さんが全体的な構成を、西荻さんが人間的なキャラクターを考えたという。それに堤監督が足していったという感じだという。
また、西荻さんは落語や日本の古典芸能が好きで、その世界観が『ケイゾク』にも反映されているようだ。
植田プロデューサーは、野々村係長のダジャレのことを言っているが、全般的に、キャラクターの掛け合い、ドタバタが落語的な印象を受ける。『SPEC』の例でいうと、第4話【丁の回】の転び公妨コントとか、『劇場版SPEC〜漸ノ篇』冒頭の焼肉コントとかだろうか。
やはり、『ケイゾク』『SPEC』の面白さを思い出す時には、名ゼリフや、名シーンを思い出すのではないだろうか。それはやはり、ドラマを見て面白いと感じるものだろう。
話は戻るが、柴田や真山といったキャラクターの元は西荻さんが考えたということである。『ケイゾク』の魅力の大部分は、彼らのキャラクター造形の面白さにあると言っていいだろう。そして、彼らのキャラクターは、落語の登場人物のように、多様性を持っている。柴田は東大卒のエリート刑事だが、結婚に憧れる乙女であり、しかしながらファッションに無頓着。真山は公安出身のやり手刑事で、過去に闇を抱えているが、自分の欲望に忠実な一面もある。支離滅裂な感じもするが、人間の多様性を表現している。