今回は突っ込みどころが多かった。
まぁ突っ込むのも野暮なんだが突っ込んでみる。
【パーフェクト・スーサイドについて】
自殺希望者が7名集まって、集まった7名のうち1名が次回の幹事となって死体の処理や遺品の発送、次回の希望者の募集を募る訳だが、パーフェクト・スーサイドによると思われる失踪事件は1998年11月/2000年5月/2001年7月/2002年9月/2003年4月/2004年3月/2004年12月/2005年5月/2006年7月/2007年1月/2008年3月/2009年10月と、「ほぼ1年に1回」とされている。
そうすると、生き残った次回の幹事は、自殺を希望しているにも関わらず、次のパーティー開催まで1年近く生きていなければならない。
そうすると、その間の生活はどうしていたのだろうか?警察は最初、遺品が送られてきていないのが次回の幹事だと推理していたが、実際には幹事も自分の「遺品」を送っていた。
実際にはもっと短い間隔でパーティーが開かれていたという可能性があるが、植松が3回遺品を送ってきており、それが警視庁が確認しているパーティーと合致しているから、植松が参加したパーティーの「間」のパーティーはなかったと考える方が妥当。
3回遺品が送られてきた植松の場合、2007年1月、2008年3月、2009年10月のパーティーに参加しているわけだから、2年9ヶ月の間自殺願望を抱えながら幹事を務め、失踪していたことになる。生活資金を要求したのも当然だ。しかし、タグホイヤーとブルガリの腕時計を買って、生活できたのだろうか?
そして、他の自殺希望者にしてもPSに応募したら7人集まらないと自殺できないことになる。
【2010年のパーティーについて】
植松が幹事をつとめていたと思われたが、古戸美智花が幹事をつとめていたという。
車いすで動きしゃべる人形やら、ガソリンがかかる仕掛けやら、逃走用の二輪やら、どうやってその資金を確保したのだろうか。もしかしたら、PSには代々受け継がれる活動資金みたいなのがあったのだろうか。
それに、美智花は二輪の免許を持っていたのだろうか。年齢的には高校1年だから問題ないが、2009年に失踪する前に免許を持っていたとも思えない。
美智花は母親が参加するのを知っていたのだろうか?また、古戸久子は本名で参加したのだろうか?
当麻の推理した、「幹事は、私たちを殺す気は全くなかった。脅して、追い払うのが目的だったんです」という推理からすると、ガソリンがまかれた時点までには美智花は母親がパーティーに参加したのを知っていたことになる。
もし、母親が参加することを事前に知らなかったのだとすれば、わざわざ人形などを用意したりせず、普通に自殺パーティーを実施すれば良かったわけだから、古戸久子は本名でパーティーに参加したということになるのではないか。